苦海を彷徨う魚の断酒記録


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何回かの断酒失敗から辛うじて2015年10月12日で断酒600日経過しました。断酒に対する考え方 心境の変化などを綴っていきます。

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坐禅会総括

先週の日曜日が坐禅会の最終日 結局坐禅会3日間で坐禅による直接的な自分自身への影響は感じられなかった。
でも朝の5:00から45分間の坐禅では暗闇から少しずつ明らんでいく外界と鳥のさえずりの中で今までに体験した事のない刻一刻と変化していく状況の中で自分が今存在している事は確実に認識できた。これだけでも坐禅した事に感謝したい。

三日間に亘る坐禅会で特に印象に残ったこととして坐禅はもちろんだが他に三度の食事(小食 昼食 薬石)がある。
基本的なメニューは白米(朝はお粥) 汁物 漬物 野菜の煮物が基本だががレシピは恐らく百年以上前から変わっていないだろう 化学調味料 添加物などは一切使用していないために味気なく素材そのものの味が強く私自身最初は正直まともには食べられなかった(もちろん残さず食べました)が最終的には慣れてきて何とか食べられる様になった。 結果的に体重が3Kg弱減りました。
一番印象に残ったのは何と言っても一番楽しみにしていた講話である。
お二人の方の講話であったが話の共通部分を私なりに要約してみたい。
以前記事の中で物事を自分のフィルターを通して身勝手な解釈で見ていた旨を書いたが今回の話の中では人間の意識はフォーカス(焦点が合う)したそこだけ(時間的にも空間的にも)しか残らないとの内容であった。逆にいうとフォーカスから外れたものは認めないと。 (意識はフォーカス)=自分のエゴ

さてではどうすればこの状態を回避できるのか?

自分のエゴ=妄想
この妄想を無くすにはとにかく自分のフォーカス(色メガネ)を外す!→真実の流れ(事実を認める)=信

具体的な方法としては 怒る 欲求(飲酒 喫煙 ギャンブル等)が出た時点でとにかく90秒待つ(90秒後には消えている)
この事は先ほど朝の坐禅で書いた(刻一刻と変化していく状況の中で自分が今存在している事は確実に認識できた。)に
通ずる 。

自分勝手に好きなことばかりに焦点を当て続けていれば必然的に弊害も出てくると言う解釈も出来る。

坐禅会




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2014/08/31(日)/09:24:27:コメント(2)|トラックバック(0)
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坐禅会初日

先週の金曜日から一度体験してみたかった二泊三日の坐禅会にバイクで行ってきた。
場所は長野にあるお寺で出席人数総勢約150名の大規模なものだった 今迄に体験したことが無かった事ばかりだったので一例を挙げつつ報告して行きたいと思う。
出発の前日の夜は小学生の遠足の前日の様になかなか寝付けなかった。初日は関東から信州は朝から快晴に恵まれ絶好のツーリング日和で坐禅会の受付が正午12:00までには随分余裕が有ったが6時に出発高速道路はほとんど法令速度を守りながらサービスエリアでは長めの休憩を取りつつお寺には11時に到着したので境内を散策し受付時刻を待った。
13:00から15:00まで開会式 坐禅指導があり15:30小鐘が三回鳴り最初の坐禅開始 だが一向に精神集中ができない ここで以前から興味のあった人生初の警策をいただいた 「ビシッ!」 一瞬痛かったが右肩全体が気持ち良い----癖になりそう。鐘が一回鳴り45分の坐禅終了 17:30より薬石(夕食)だったが、この禅宗の食事作法がまたびっくり「法等食等」という考えがあり非常に細かく厳しいのでだった。食事の偈文という決まりがあり着席 食事の盛り付けが終わったころの度ごとに全員で唱えるのだ。食事そのものの感想としては想像を絶する質素さと淡白な味付け 普段は意識しないが化学調味料の味付けが慣れている身としては本当に辛かった。極めつけは写真の様に三種類の皿と箸は3日間自分専用となり食事中に回ってくるお茶とお湯で自分で洗って拭いて保管が必須なのだ。 ちなみに全行程三日間で体重が2.5Kg減りました興味のある方は是非ご自身でご体験を!。
19:00~20:30までは法話(この内容は次回以降で書きます) 20:50~45分の坐禅が終了でスケジュール完了そこから宿舎までマイクロバスが送ってくれて到着後すぐに各自布団を敷き入浴後就寝なのだが 何処にでも酒飲みはいるもので見つかれば即退場を知っていながらウィスキーを持ち込みロビーで5人ほどで飲みだしたのだ。私も共犯者として誘われたのだが丁重にお断りして歯磨きして寝床につき即爆睡で初日無事に終了。

無量寺 第四十八回 禅の集い 019

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2014/08/26(火)/16:45:45:コメント(0)|トラックバック(0)

百八つ

断酒を継続して半年を迎えようとしているが前々回の記事に断酒自体がそれほどの苦痛を感じなくなってくると断酒でのメリットもそれほど感じなくなる旨の事を記したが少し言い方を替えれば断酒を始めたばかりの頃は体も精神も多分それなりにかなり衰弱しており何日かの断酒により体も精神(心)も回復している過程が手を取るように感じられる。 しかし体と精神が回復すると今度はそれが当たり前になりその事自体のメリットも意識しなくなってしまう。(罰当たりな事です。)

無明はあらゆる煩悩を生み出す 最近煩悩に関する本の中で煩悩の数は何故百八つなのか諸説ある中で一つご紹介したいと思う。

まず 人間界では四苦八苦からは逃れられない------四苦とは 生 老 病 死
八苦とは 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五蘊盛苦
これらから

四×九=三十六  八×九=七十二   三十六+七十二=百八つ

他にも諸説ありますが私としてはこの四苦八苦をベースにした説が一番ピンときます。

さて本来なら無明というものを探求しなければならないのですが私の場合は私自身が無明の塊だと自覚していますのでまずはここから生み出される煩悩を調べていきたいと思います。

五戒

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2014/08/13(水)/15:45:01:コメント(0)|トラックバック(0)

狂気の夏祭り

これまでに過去に泥酔し 人には話せないような経験を積み重ねてきたが、8月になるとどうしても思い出してしまう事がある。 今回は恥を忍んでこの話を書いてみようと思う。子供の頃に住んでいた町(北東北)は8月20日前後に3日間三社大祭と称し20台前後の山車が市内を練り歩く祭りで私が幼稚園児だった頃から毎回参加していた 小学生になると山車に乗れる小太鼓がたたけるようになり(5人が1クルーで交代制)中学生になると横笛を担当一日中山車に乗り放題 未だ飲酒が常習化する前の中学1年の夏に初めて横笛で山車に乗る事となった。(初日は平日だが町内会長の証明が有れば学校は公休)横笛担当は他に幼馴染のやはり中学1年の悪坊主この2名で最後までお囃子の横笛を絶えることなく吹き続けなくてはならない大役だった。午前10:00位に運行が始まり山車が動き出した直後は地上3メートルを越す高さから見る町内の風景に感動した記憶が今でも鮮烈に覚えている。30分位はお囃子に集中していたが次第に喉が渇き始めた(今の様にペットボトル持参などと言う意識は当時は全く無かった)頃 幼馴染の相方がおもむろになんと一升瓶を差し出してきたのだ。運行前に1本くすねて持ってきたのだった。早速お互い湯飲み茶碗になみなみと注ぎ一気に飲み干した。喉が死ぬほど乾いていたので慣れていない日本酒も抵抗無く喉を潤していった。 こうして1時間程は一人が笛を吹き一人が酒を煽るこのサイクルで過ぎた。 そうこうしている内に最初の休憩地点に到着(三社のうちの一社である神社付近)ここで急にすごい尿意が襲い急いでトイレに。 そして出発 相方は休憩中にコーラのホームサイズ(当時販売されていた)を入手酒はもう要らないとの事でその後は私一人で湯飲み茶碗でがぶ飲みを繰り返していた酔いが回り気分は最高で天下を取ったかのような気持ちだった。(一升瓶は既に3/1位しか残っていなかった)そして1時間位経過した頃2回目の尿意が襲ってきたので相方に山車を降りて小便をしてくる旨を告げて狭い山車の骨組みの間を潜り抜けるように降りていくと思うように体が言う事を聞かないやっとの思いで山車の下まで降りることが出来たが今度は動いている山車から地上に降りなければならない(山車からの転落事故で過去死人が出ている)。 意を決して飛び降りると町内会支給の浴衣の裾が山車に引っ掛かり破けてしまったが何とか着地。しかし付近にはトイレを借りられそうなところは無い。仕方が無いので少し歩いたところに小さな谷が有り湧き水が湧いている所を思い出し谷に下りる場所まで行き思い切り放尿しようとした時足が縺れ一気に谷底まで転げ落ちて行った。 ここまでは鮮明に覚えている。 何分くらい経ったのだろうか。肘 膝 脛の痛みで我に返り見回すと浴衣はボロボロ あちこちの腕 足からは鮮血が流れ落ち腰は激痛で自分に何が起こったのか暫く理解するのに時間が掛かった。どうやって家まで帰ったのか記憶には残っていない。ただ親はもちろん町内の人からも何も怒られなかった事だけは今でも不思議だ。  今考えれば祭りの時は多少の事には寛大だったのだろうが、この様な環境が少なくとも依存症になった一つの要因の元になったのかもしれない。

山車

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2014/08/10(日)/09:40:02:コメント(2)|トラックバック(0)

無明

前回断酒期間が長くなると断酒の効能の変化(メリット)が見えなくなる旨を書いたが、今一度良く考えてみると唯単に体と心が飲んでいなかった頃の状態に近くなっただけの現象ではないのかと思うようになって来た。
熱さ=飲酒 故に 喉もと過ぎれば熱さ忘れるのだ。
飲んでいなかった時期も多分今と同じように何かに不満を持ち 日常の生活がマンネリ化していたのだ。
実際にこれはアルコール依存以前の問題なのだ。 自分自身のパーソナリティ(生き方)の問題!
そう考えるとこの根本的な課題は結局生き方の問題と言う事。

仏教用語で無明という言葉が出てくる まさしくこの無明が自分の生き方の方向性を決めているのだ。
これまで随分と色々な好き勝手なフィルターを通して世の中を自分勝手に解釈し自分の都合の良い事だけに囚われて生きてきた。その一つの結果がアルコール依存だった。  これからはこの無明を掘り下げて考察したいと思います。

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2014/08/02(土)/14:40:41:コメント(2)|トラックバック(0)
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